古澤 満コラム私は子供のころからラマルクの“獲得形質の遺伝”に興味を持ち、進化を目の前で見ることが夢であった 古澤 満 古澤 満
 

 前回のコラムでは、ゲノムと細胞質(ここではゲノムを除いた細胞全体。もっと広い意味ではゲノムを除いた生物の個体を指します)は切っても切れない関係にあることを、進化の観点から議論しました。今回は一旦進化から離れて、“遺伝”という言葉について検討して見ましょう。一般には、遺伝する物質はDNAで、DNAの遺伝情報に従って細胞質の形質が決定されると理解されています。例によって、また2つの質問をします。1)遺伝するのはDNAだけでしょうか? 2)ドーキンスの言うように、「生物の個体は、遺伝子の単なる入れ物」でしょうか?

【質問1: 遺伝するのはDNAだけでしょうか?】
 生物は細胞から出来ています。細胞の最大の特徴は複製してよく似た2つの子供を作ることです。遺伝するということは、「親の細胞を作っている物質がそのまま子供に移動すること」とも言えます。このことを“物理的連続性”(物が直接受け渡されるという意味)という表現で指摘した日本の先達がおられます(20年余り前に一般書で読んだ記憶があります。出典をどうしても思い出せません。)この理屈でいきますと、半保存的に複製するDNAはまさしく遺伝する物質です(半保存的とは、2本鎖のDNA分子のうち、一方の鎖を鋳型にして新しい鎖を作るという意味)。                                 
 では細胞膜や細胞内の小構造物(小胞体=たんぱく質を合成する小部屋、ゴルジ体=合成されたたんぱく質を分泌する装置、微小管=染色体を引っ張る糸や精子の尾を作っている糸状物質、など諸々の構造物)、それに、クレブスのサイクル(糖を分解してエネルギーを作る回路)や細胞内情報伝達系(細胞外からの刺激を核に伝える経路)に代表される多くの生化学反応系はどうなのでしょう? 細胞が複製されるごとに、全部ご破算にして最初から作り直すとはとても思えません。多分、親細胞にあった既存の系をできるだけ残したまま、それを“種(たね)”にして、同じ系を過剰に生産し、“たね”と新生した系とを適切に混ぜて、2つの子供細胞に分配しているのでしょう。こう考えて見ますと、確実性はDNAには及びませんが、細胞質も立派に遺伝する物質としての資質を備えていると言えないでしょうか? (高等生物の場合は、巨大な細胞質を持つ卵から始まり、発生という複雑な過程を経て成体になりますが、基本的には上の議論は成り立つものと思います。)
 では、細胞質のような構造体はどのようにして創られてきたのでしょう。私は全く門外漢ですので、ここから先は受け売りになりますがご容赦下さい。そもそも細胞質のような複雑系は、開放系熱力学の理論によって“自己組織化的”に形成されたと信じられているようです。「勝手に出来上がった」とでも表現すればいいのでしようか? 細胞のように、脂質2重膜で囲まれたたんぱく質を主成分とする物体は、もともと何がしか新陳代謝の能力を持ち、且つ、成長し分裂することも可能だとされているようです。もしそうだとしますと、DNAなんかなくても細胞は存在し、複製はおろか進化もすることになります。でも、これでは方向性が定かならず真に心もとないので、遺伝情報を正確に伝えることが出来るDNAが原始細胞に組み込まれ、設計図の役目を果たし、飛躍的に安定した細胞系が形作られたというシナリオです。 細胞にDNAがなくても細胞の生命活動に支障を来たさない例はヒトの赤血球に見られます(冷蔵庫に長期間保存しておいても、輸血に使用できます)。
 ゲノムDNAと細胞を構成する全ての分子の素材とエネルギー源があれば、細胞は再構築されると思われがちですが、決してそうはなりません。現存する細胞を再現するには、前回のコラムで指摘したように、ゲノム・細胞質・環境の相互作用の長い歴史が必要になります。遺伝子は素材からたんぱく質を合成する情報を持っていますが、 細胞を一から構築する情報は持っていません。 細胞が持つあのソフィスティケートな(sophisticated=触れたら壊れそうなほど繊細な)構造物や活性は、ゲノムと細胞質との相互作用によってのみ子細胞に正確に伝えられるもので、どちらが欠けてもこの遺伝という偉業は達成できません。(先ほど例に出した赤血球は、ゲノムが欠けていますので子供は作れません。) 俗な表現ですが、“エライ”のはDNAと細胞質の両方です。

【質問2: R.ドーキンスの主張とは?】
 “利己的遺伝子”で有名なR.ドーキンス氏の表現を借りますと、「日頃われわれが目にする生物の体は、遺伝子の単なる入れ物である」といことになります。これは卓越した洞察で、生物の一面を見事に表現しています。また、英国流のユーモアーを感じさせるフレーズです。メンデルによる遺伝の法則の発見に始まり、遺伝学、遺伝学と生化学の結びつき、そして分子生物学と伴に発展してきた遺伝学の流れはDNAを中心としたものでありました。 DNA(ゲノム)という言葉はあたかも外来語が流行るように全世界の人々によって語られ、マスメディアによって使用されてきました。でも、どれだけの人がDNAの意味を正しく理解して使用しているかは疑問ですし、未知の部分も多く残されています。 このような状況の下でドーキンス氏が明快に言い切った訳ですから、どれほど新鮮な響きをもって人々に受け入れられたかは想像に難くありません。 また、氏が書かれた書物は優れた啓蒙書として歴史的評価を受けるに違いありません。氏自身も指摘しているように、新説の提唱ではなくて、進化における遺伝子の役割を新しい切り口で論じているのです。“利己的遺伝子”という鮮烈なインパクトがきっかけとなって、生命科学における新しいコンセプトがこれを契機に生まれることをむしろ期待すべきだと思います。
 “利己的遺伝子”のコンセプトが新しい進化説として紹介されている解説書を時々見かけますが、恐らく的外れだと思います。数年前、スペインで氏に直接お会してこのことを確かめる機会があったのですが、残念ながらご都合により出席されませんでした。このサマーコースのことはいずれコラムに書こうと思っています。
 言うまでもありませんが、ドーキンス氏は遺伝や進化における細胞質の重要性を十分に理解した上で、“利己的遺伝子”というキャッチコピーを使っておられる訳です。そのことを理解しないで、「生物の体は遺伝子の単なる入れ物(運び屋)である」という言葉を文字通りに受け取ると、とんでもない方向に話が行ってしまう危険性があります。 洋の東西を問わず、とかく人は魅力あるフレーズに惑わされがちです。“カオスの縁”(C.ラングトン)や“聖域なき改革”(小泉純一郎)もその一つかも知れませんね。 ユーモアーやウイットを解さないと、相手が本当に言いたいことが正しく伝わらないことがあります。行間を読むことが大切だと思います。 特にわが国では、“利己的遺伝子”が文字通り一人歩きしている感がするのは私だけではないでしょう。       

2006 年 7 月 28 日
古澤 満
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