古澤 満コラム私は子供のころからラマルクの“獲得形質の遺伝”に興味を持ち、進化を目の前で見ることが夢であった 古澤 満 古澤 満
 

新聞や雑誌などで“多様性”と言う言葉をよく目にします。例えば、集団を構成する個々人が同じような考えを持つより、多種多様な考えを持つ方が集団としてより良い方向に進むという意味に使われています。昨今のマスコミは格好付けを狙ってなのか、学術用語を必要以上に使いたがる傾向があります。車の“進化”やテニス・ラケットの“進化”のように、その意図がすぐに分かる場合には別に問題はありませんが、“多様性(Diversity)”という言葉を使うときにはとくに注意を払う必要があるようです。

生物の多様性が大きいほど生物界がより繁栄して地球がより豊かになる、と誰もが信じています。この表現は漠然とし過ぎていますので、「種を構成する個体の多様性が大きいほど進化はうまく行く」と言い換えてみましょう。実は、このフレーズは、フィッシャー(1930年)以来連綿と続いているネオダーウィニズム(進化の総合説)の根幹をなす概念です。以下、この概念には疑義をはさむ余地があることを示したいと思います。

この図はDNAの家系を示したもので、従来の均衡変異モデル(A)と、不連続鎖にだけ変異が偏って入る不均衡変異モデル(B)を比較したものです(Furusawa, 2014.doi: 10.3389/fgene.2014.00421.) 古澤満著『不均衡進化論』筑摩選書, 2010年

この例のように変異率が高い時には、モデルAでは、すべての個体に有害変異が蓄積して種は消滅する危険性があります。一方、モデルBでは、同じ高い変異率でも、元本が保証されている(ある世代の構成員の半数は、一つ前の世代に存在していたと同じ遺伝子型で占められている)ので消滅の可能性が低く、逆に飛躍的進化が期待できます。ここで問題は、どちらのモデルの方が多様性が大きいかです。両モデルとも、現存する集団(図の最下段の8匹)にばら撒かれている変異の数の合計は24です。実はろくに調べもせずに、迂闊にも、モデルBの方が多様性が大きいとずっと思い込んでいました。ところが昨年、総合研究大学院大学の高畑尚之・颯田葉子両博士と議論する機会があり、事実は逆であることが判明しました。モデルAでは、同じ遺伝子型を持つものは一つとして居ませんから、多様性(バラエティ)は極めて大きいのです。一方、モデルBでは元本が保証されている分、個体の多様性は低下しています。つまり、このケースでは、多様性の小さい集団の方が圧倒的に進化に適していることになります。

いたずらに多様性を増大しても集団(種)の進化には利とならず、「元本を保証した多様性の創出」、これこそが進化の原理なのです。地球上には190万にも及ぶ種が存在していますが、いずれの種もくっきりと独立していて、その間を埋める中間型のものは普通見つかりません。このような見方に立つと、意外なことに、現状の生物界の多様性は思ったより小さいのです。少なくとも、我々が目にする生物界の現状は、多様性の最大化になっていないのです。「元本を保証した多様性の創出」は自然であれ人工的であれ、自己複製系が関わるあらゆる集団の存続と発展に共通する基本原理であると言って間違いないでしょう。おそらく、人間社会の営みにも通用する原理だと思います。

ここで注意してほしいのは、図は特殊な例ではなく、大抵の生物では世代当たりに1個以上の変異が加算されます。世代当たりの変異の数は、ヒト=70個、マウス=60、ショウジョウバエ=3、線虫=0.3ぐらいと見積もってほぼ間違いないでしょう。1を超すと生物は生きられませんから、もし図Aが正しければ、線虫はかろうじて生きられますが、ハエやネズミは無理です。この世は下等動物しか居ない殺風景なものになっているはずです。

以上、どのような常識や法則も一度は疑ってかかる必要があることを再び学ぶことになりました。当時、万能だと信じられていたニュートンの運動方程式(f=mα)も、不連続な量子や素粒子の世界では成り立たないのと同じように。

2015年4月20日
古澤 満
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