古澤 満コラム私は子供のころからラマルクの“獲得形質の遺伝”に興味を持ち、進化を目の前で見ることが夢であった 古澤 満 古澤 満
 

昨年の暮れ、久しぶりに弊社の忘年会に出席しました。その席で「人生で印象に残っている出来事は何ですか?」という質問を受けました。これを機に、今までに心に残った出来事を年代順に想い返してみることにしました。

1)機銃掃射:終戦間近、四国沖に停泊中の米空母から発進した艦上戦闘機グラマン・ヘルキャットの機銃掃射を受けました。一度目は岸和田中学に通学途中、南海電車佐野駅(現、泉佐野駅)で乗り換え電車を待つ間の出来事でした。おりしも飛来中の敵戦闘機の編隊に友達と手を振っていた時です、そのうちの2,3機がとたんに右旋回・急降下して我々を狙って機銃を発射しました。幸い弾は物陰に伏せたわれわれの頭上をかすめて後方の小学校の建物に当たったようです。二度目の経験は、自宅のあった海沿いの尾崎町が銃撃を受けたときのことです。庭にあったL字型の防空壕に家族で飛び込み、戦闘機が迫ってくる側の床の隅に凍りついていました。壕の壁を通して背中に伝わってくるだんだん大きくなる機関砲の衝撃の恐怖は今でも忘れられません。超低空飛行のため、庭のアオキの小木が揺れ動き砂塵が舞い上がり、弾丸で屋根瓦が割れました。この銃撃で、小舟を出して漁をしていたご近所の小学5年生のH少年が、ご家族が海岸から見ている目前で頭を撃ち抜かれて即死しました。負け戦を身をもって感じた瞬間でした。

2)敗戦:非国民と言われようと、心の中で"万歳"を叫びました。軍靴の蹂躙からの解放、本土決戦の回避、教練のM教官の全く愛情を感じないビンタ(平手打ち)からの解放、そして自由。どれも夢のようでした。一方、教師や年長者への不信と反発。その裏返しとしての異常なまでの独立心の高揚。これらが私たち同世代の生きざまや、私自身の研究者としての原点となっています。

3)DNAの構造の発見:生きている間に遺伝子の実体なんか絶対にわからないと信じていた私には、1953年に発表されたワトソンとクリックのNature誌に掲載されたわずか2ページの論文には全く驚かされました。彼らのDNAモデルは細胞の正確な複製機構の原理をも包含していたのです。この発見には3人の物理学者が大きな貢献をいています。生物学を専門にしている私にとっては大変なショックでした。

4)タバコモザイクウイルスの試験管内合成: 1955年、フレンケル=コンラートとウィリアムズにより、精製されたTMVのRNA(遺伝子)とそれを包むコート タンパク質を混ぜるだけで、自動的に結合してウイルスとして機能することが示されました。少し後になってこの論文を知った私は、生物学をやめようかと真剣に悩みました。というのは、もしこの実験結果が一般化されるのなら、DNAとたんぱく質やエネルギー源、その他必要な栄養素を混合すれば基本的には生命が試験管内で自然にでき上がることを意味します。つまり、DNAの情報発現機構を徹底的に解明すれば生命の謎が解けることになります(現在でもそう信じている人は少なくありません)。当時は、まわりの研究者たちがどうしてこの問題について悩まないのか不思議でもありました。しばらくして、ウイルスでも少し複雑なものになれば試験管内合成ができないことが判明し、私も安心して生命科学の研究を続けることができました。

5)プリゴジンの話:確か1970年のことだったと思いますが、大阪市立大学理学の校舎が紛争で封鎖され授業は中断されていました。その間に、物理学教室の畏友三浦輝夫氏が、私のために"形"についてプライベイトな講義をしてくれたことがあります。プリゴジンが提唱した非平衡熱力学(散逸構造)の話でした。机の上のコップと入道雲の形は全く違ったパラダイムに属する現象であり、後者が生物学が扱う"形"(形態)の本質であるという内容でした。彼の話はその後の私の研究に多大なる影響を与えました。

6)コーンバーグ博士との出会い:不均衡進化理論の発想のきっかけとなりました(第8回コラム参照)。

7)大震災:1995年1月17日、震度7の直下型地震で我が家は崩壊しました。西宮は災害に関しては絶対安全だと信じていましたので、まさか我が家が地震で壊れるなんて夢にも思っていませんでした。幸い当日はパリにいましたし、東京で仮住まい中の家人たちは、北海道にスキーに行っていましたので無事でした。自宅は友人のスティーブさん(第9回コラム参照)ご夫妻が使用していました。英国育ちの彼はさぞかし怖かったでしょう。昨年の3月11日の大津波には心底驚愕しました。テレビに映し出される光景は言葉では表現できないものでした。せめてもの支援の一端との思いから、秋田からの帰途に仙台駅で途中下車し、一泊して友人の鈴木操氏の案内で名取市近郊の「ゆりあげ地区」を訪問し、被災者の皆さんが共同経営している仮店舗でわずかながら干物などを求めました。それにしても私はよくよく天災に縁があるらしく、第一室戸、及びジェーン台風の直撃を受け、サンフランシスコ地震(1989年、ロマ・プリータ地震)にも震央に近いパロアルトで遭遇しています。

8)近いうちに起りそうな重大事件: 最後の未知の素粒子である「ヒッグス粒子」の存在は、一般相対性理論から導かれるそうですがいまだ発見されていません。"存在しないこと"の証明は大変難しいので、近い将来吉報が入るとすれば、ヒッグス粒子発見のニュースでしょう。それは、最後の謎の力といわれる重力を伝える実体の発見として弟一級の事件であることは間違いないでしょう。しかし、仮にその存在が否定されたとすると、現代物理学は根底から覆されることになります。第三者的立場からすればその方が魅力的であることには違いありません。一方、物理学の基盤の上に立って生命科学を研究している私としましては、全幅の信頼を寄せていたものが全面否定されることになります。だからと言って、私の仕事には全く影響はないことは分かっているのですが、そのような不安な状況で研究者生命を終えるのはできれば避けたいと願っています。        

2012年 6月 11日
古澤 満
古澤 満
バックナンバーはこちら

第1回  『進化と時間を考える』
第2回  『進化と時間を考える ― 続き ―』
第3回  『遺伝とDNA』
第4回  『エル・エスコリアル サマーコース』
第5回  『生物を支配する法則を探る ― 元本保証の多様性拡大 ―』
第6回  『生物を支配する法則を探る ― 保守と革新のカップリング ―』
第7回  『進化を目の前に見る事は可能か? ― @プロローグ ―』
第8回  『進化を目の前に見る事は可能か? ― A偶然の出会いときっかけ ―』
第9回  『目の位置』
第10回 『S氏の事』
第11回 『外国を知る』
第12回 『私とスポーツ ー野球・空手ー』
第13回 『私とスポーツ ースキー・ヨット・テニス―』
第14回 『大学での研究を振り返って』
第15回 『進化学と思考法』
第16回 『東電第一原子力発電所の事故と男の友情』
第17回 『体験的加齢医学』
第18回 『分子生物学の新しいパラダイム』
第19回 『往年の名テニスプレーヤー清水善造氏との出会い』
第20回 『芸術と科学』
第21回 『心に残った重大な出来事』
第22回 『自然科学と進化研究』
第23回 『ガードンさん、ジーンさんノーベル賞受賞おめでとうございます。』
第24回 『競技場内研究者』
第25回 『文系と理系』
第26回 『人生ままならぬ』
第27回 『STAP細胞仮説は科学の仮説ではない』
第28回 『人は一生で2回以上死ぬ!?』
第29回 『多様性と進化のパラドックス』
第30回 『科学者としての父を語る』
第31回 『熱帯多雨林に多種類の生物が密集している理由』
第32回 『日本語で考える』
第33回 『私の人格形成過程を振り返って』
第34回 『タスマニア・クルージングて』
第35回 『天才遺伝学者、アマール・クラー博士逝く』

◆ 第36回以降は「CHITOSE JOURNAL」へ移動しました ◆

印刷する

CLOSE

 

Copyright 2002-2011 Neo-Morgan Laboratory Inc. All Rights Reserved